top of page

砂鉄が価値を持った時代。

 

北九州から山陰地方にかけて、

昔の鉄鋼生産にとって高品質の砂鉄の資源がある。

朝鮮半島の東海岸も、そうらしい。

 

朝鮮半島の南の山中、釜山の北、

昔、鉄生産のノウハウを持った国があった。

当時、鉄生産は最先端の産業であった。

 

ところがこの小さい国は隣の大きな国に滅ぼされ、

鉄生産の技術共、国を奪われることになる。

一部の技術者は九州北部に逃れた、と言われている。

 

その時代、

砂鉄は品質の良い鉄を得るための重要な素材であった。

戦略物資でもあった砂鉄が

国際通貨の役割を担った時代がある、、とも聞いている。

 

鉄の素材の生産地から消費地にいたるまでの流通は、

製造工程ごとに、

必要とされる技術が集積されている地域、

との関連で、あるいは、

必要な素材とその流通と関連で、

“最も良い利便性”、そして“より高い品質の製品”、、、という、

ビジネスの命題に照らして、よりよい条件を満足する方法が、

選び抜かれていた。

鉄の製造工程は、炉の温度をどれだけ高くするか、、

その技術技法材料選択が鍵を握っていた。

砂鉄は砂鉄が含む酸素を酸化剤として、

炉の温度を大幅に上げるための重要な素材であった。

時には砂鉄に含まれる不純物、

例えば、チタンのような成分が

刃物としての完成品の品質を左右した。

ちなみに、

北九州から山陰にかけて、

そして朝鮮半島の東海岸の砂鉄は、

チタンを含ンでいるそうである。

bottom of page